Adventures in Ville

生まれも育ちも奈良県民なワタシが、東京という大都会のど真ん中でいろいろ出くわす冒険記です。

桂三四郎十五周年記念独演会に行ってみたの巻

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今回、約2年ぶりに参加できた三四郎さんの独演会の様子を、目に焼き付けただけでは忘れそうだったので、メモとして書き残し。

噺のネタバレはしていないつもりです。

 

あくまでも、当日の様子と個人的な感想のまとめです。

…そして、そもそもアクセス数がものっすごく少ないので、好き勝手書いてますが、もし、その道(→どの道!?)の方がみて、削除した方がいい内容があったらお知らせください。

 

個人的には、2017年以来2度目のひとり会。昨年、2回とも行きたかったのに、やんごとなき理由でいけなかったので、

今回どれだけ待ち遠しかったか!

 

しかも、落語家生活15周年を記念する、真打披露的な特別な会。

年明けから、ずっとこの日のために仕事も家事もがんばってきたようなもの。

辛いときは、手帳のジッパー部分に入れたチケットを見て、奮い立たせてきた

(→いやいや、どんだけ病んでる、ワタシ)。

 

そんな当日、会場の入口には、当日チケット売ります看板を持った方々もちらほら。なるほど。どうしてもチケット取れなかったら、こういうのに最後の望みを託し、とりあえず会場に来てみるという手もあるのか。今後のために覚えておこう。

 

会場に入ると、薄桃色、群青色、濃い紫色の3パターンの三四郎さんの手ぬぐいが。

もちろん、即買い(悩んだ末に群青色をセレクト)。

 

のちのマクラの中で語られた裏話いはく、すでに開演前に、100本売れていて、落語会で100本手ぬぐいが売れるということはそうそうないというスタッフ談をかき消すかの衝撃の事実は、このたび450本の準備で臨まれているとのこと。

いや、きっとすぐ売れますよ。めっちゃいいもん。

ほんま、今更ながら3色買えばよかったと後悔してるもん。

 

そんなこんなで、19時過ぎ、幕が上がる。

袖から出てきた三四郎さんへの拍手はだんだん強まり、

長めに深々とお辞儀する三四郎さんに「いょ!(待ってました)」的な野太い掛け声。

 

すごいもんですね。Voicyで三四郎さんの声を100回分も聴き続けると、

多分、家族や仕事場の人たち以上にコンスタントに話し声を聴いてきているからか、勝手に、ワタシは身近な存在なんじゃ…?という錯覚に陥っている自分がいて、15年の重みや、それをサポートしてきた人たちの並々ならないエールの嵐を感じ、なぜかちょっとぐっと来る。いやいや、ほんで誰やねん。なワタシ。

※でも、その直後、隣の座席の見た感じ60代かと思われるおじ様も、笑いながらふいにメガネをシャっと取って、ハンカチで涙をぬぐっていた瞬間を捉えた時、この錯覚に陥っていたのはワタシだけぢゃなかったと確信!

 

1.十七歳

 噺の内容は、ワタシなんかが文字にすると、全くおもしろさのかけらもなくなるし、実際、生がベストなので、その時の様子や思ったことだけ綴るとすると、

これは、三四郎さんが落語家人生初の創作落語だそうで。

きっとそれ以来、手を加えて磨きをかけてはるんやろうけど、デビュー作でこんなにおもしろいなんてどうかしてるぜ!ってくらい、最初から最後までの構成に矛盾がなく、オチでストンと腑に落ちて、なるほど~と思いながら笑った笑った。

以前、テレビでみた「さんかく」ってこの一部だったのか~。

 

2.楽屋風景茶番劇

三四郎さんいはく、3年前のひとり会のデジャブ部分も盛り込みつつ、舞台裏である楽屋の様子を、笑福亭希光さんと共に、面白おかしく掛け合いながらの生着替え。

個人的には、去年一年間で、人に着物を着せたり、自分自身も大急ぎで着物に着替える、というシチュエーションが数回あったので、あの、手が覚えている感じ(←そらそうやろうけど)は、ものすごく参考になったし、プロってるー!

めっちゃかっこいいやーん!ってなった。

腰紐を結ぶところなんて、なんなら動画ほしい。あんな風に結べるようになりたい。

 

3.那須与一名誉の扇の的

今回の独演会は、三四郎さんの恥部を晒すというチャレンジが全ての噺に織り込まれているということで、一つ目がデビュー当時の振り返りなので、こっぱずかしい一席だとすると、この一席は、二枚目を演じ切るこっぱずかしさを乗り越える噺だということで。

 

でも、さすが今日までにモノにされた感がみなぎる独特な講釈交じりのお噺を聴き、二枚目を演じ切るこっぱずさしさはみじんも感じられませんでした。

 

…ていうか、そらね、いわゆるブサイク芸人で売ってる芸人さんが、急に二枚目で、ってなったら、本人もそうでしょうけど、多分見てるほうもこっぱずかしくなるんだろうけど、三四郎さんは普通にしっかり二枚目なので、むしろ清々しかったです。

 

そして、古典的な講釈がだだだだだーーーっと続いて、聴いてるうちに、え、え、おっと…これ、自分が息つぎしてる間に訳が分からなくなりそう、っていうか、もはや何言うてますのん!?ってなる部分が出てきても、そこが三四郎さんのやさしさなんだと思うんですが、ちょっと一時停止して、ちゃーんと笑いや説明を入れて安心させてくれる。

すごーく気配りの落語だと思います。

何を隠そう、なんも隠さんでいいけど、今回一緒にお連れしたのは、生の落語は初めてで、三四郎さんて誰?レベルの人で、古典とか難しくないかしら、今日疲れてて、途中でウトウトしないかしら、

とお上品に心配しておられましたが、ずーっと笑ってはりました。

むしろアドレナリンが出て、眠くなる暇なかった様子でしたから。

 

4.鶴瓶師匠のお楽しみ

そして、いよいよ大御所、鶴瓶師匠の登場でした。

 

登場するなり、あれ、A-Studioのデジャブ?ってな感じで高座の前に出てこられ、そのまま立ちスタイルでご挨拶のような感じでお話を始められる。

 

これがまた、いわゆるたわいのない日常の一幕のあれやこれやなのですが、なんなんでしょう、鶴瓶師匠が話すと、なんでも面白いんですよね。

後ろの女性は、ヒィヒィ言いながら笑ってたし、ワタシも涙が出るほど笑いました。

 

一度、袖に引っ込まれてから、すぐにまた出囃子とともに高座に上がって、すぐに古典の「明烏」を一席。

 

三四郎さんとはまた違う世界観で、独特の感じ。同じ噺をたまたま先日、落語ディーパー(TV)で途中まで聞いたので、人によってこんなに頭に描かれるイメージが違ってくるんだなぁと、古

典落語の醍醐味を感じる。

 

ちなみに、これって遊郭が舞台の噺なので、落語家さんによっては、なんとなく女性が聴くと居心地悪い感じになるんじゃなかろうかっていうストーリーラインなんだけど、そこは鶴瓶師匠のお人柄のゆえでしょうか。全然イヤな感じはなく、ひとつひとつが笑いに変わっていく。

 

-中入り-

10分ほど休憩。

アナウンスに、手ぬぐいが完売しないと再開できないという脅しめいたお知らせが響き渡るも、それも会場をくすっと笑わせてくれました。

 

5.三四郎さんのお楽しみ

お涙頂戴ものの人情噺も小っ恥ずかしいということで、3つ目の挑戦がココにありました。

 

三四郎さんの創作落語は、ドラマになりそうなストーリーラインだなぁとよく思うのですが、こちらもものすごくものすごくものすご~く、面白かったです。

 

最後の最後まで聴いて、え!?そんな展開が!?のあとのオチも、これまた。

よくVoicyで三四郎さんは、「幸せになると、おもろなくなる」というようなことを語ってはりますが、三四郎さんなら、幸せになってもきっとおもしろいんだろうな、と確信した一席でした。またどこかでかけてくれるといいな。

 

ほんで、三四郎さん、最後の一席で鼻水止まらん罠にかからはったんでしょうか。

この一席の間、鼻が気になる様子で、観客からはなんもわからんかったんですが、そのせいでもしや落語の集中力が1割ほど削がれていたのでは!?と。

 

それでも完璧だったのは、日頃から120%、いや150%で練習を積んでこそなのでしょうね。

 

毎回のVoicyが話し方の教科書やとすると、今日の独演会はまさにその実践編でした。 

 

ちなみに、人情噺というと、2017年のひとり会で「妾馬」を初めて聴いたときに途中、結構なレベルでホロリときていたワタシとしては、今回はそこまでお涙頂戴にはならなかったのが正直なところではありますが、それでも、聴いた後、なんか「人」っていいよな、とほっこりした気持ちになったのは間違いありません。

 

総勢何人登場する!?っていうくらい、個性的なキャラクターがたくさん登場するけど、どの人のことも愛おしくなるストーリー。

 

最後の一席の後、ゆっくりと幕がおり、急いでいたのであろうおっちゃん数名は

大急ぎで席を立ったら、次の瞬間、アンコール的な感じでまた幕が上がり、最後の御礼のご挨拶があったので、あの時立ってた人は、ちょっと気まずかったかもな(笑)。

 

三四郎さんも、全身全霊を注ぎ込んだ約2時間半だったはず。

いやー、またVoicyの再開が楽しみではありますが、ひとまずはゆっくりと、プレッシャーから解放されてていただきたいものです。