Adventures in Ville

生まれも育ちも奈良県民なワタシが、東京という大都会のど真ん中でいろいろ出くわす冒険記です。

誕生日を祝われたくない利用者さん

ウチの利用者さん(a.k.a. オット氏)は、誕生日を祝われるのが嫌い。

 

そして、人にバラされるのも嫌い。

 

サプライズ誕生日パーティーなんて企画しようもんなら、空気は最強に凍りついて、その場にいる全員を後悔という名のどん底に追いやることになるでしょう。

 

定型の私にはそれがほんとによくわからない。

 

でも、「アスペルガー 誕生日」とかで検索すると、実は同じような悩みを持つパートナー(大抵女性)は少なくない。

 

その辺りの関連性を知らなかったかつての私は、大勢のいるところで、

 

「○○さん(←オット氏)のお誕生日はいつ?」

 

と聞かれてうっかり伝え、そのことがバレてブチギレされ、2週間くらい無視されたこともある。

 

私にとって誕生日はいくつになっても嬉しいもの。祝われて不快に思ったことなんて、一度もない。

 

だから、そうではない人の思考回路が分からず、腑に落ちてないから、何回か挑戦して撃沈する。

 

なぜそんなに嫌がるのか、何度も聞いた。そして、私の理解が正しければ、その理由はだいたいこんな感じ↓

 

・誕生日という1年のたった1日だけを祝福するなんてナンセンス。ほんとにその人のことを想うなら365日祝福するべき。

↑いや、それがなかなかできないからせめて誕生日だけでも…と言った日にゃ、

 

「そんなんで愛だの友情だの語ってんじゃねえよ」とバッサリ。うーん…そうなのか!?

 

・だいたいそんなに仲良くもない人からただただ誕生日を知ったが故に祝わられる筋合いはない

↑別に私は通りすがりの人や、たまたまレストランで居合わせた赤の他人からでもおめでとう!って言われたらなんだか

ほっこりしますけど?え?せえへん?あれも不快なん!?

 

まぁ、そんなこんなで、時々「もうそろそろ心入れ替わったかな」とか思って試したところで、ここのこだわりが消える事はまず有り得ないことを身をもって体験したので、誕生日は100歩譲って祝わないことにした。あえて普通の日を取り繕うのです。

 

でも、どうやら同じ感覚で、自分の近況や生活の変化などを近しい友人にも明かすのも、極端に嫌う。

 

最近どう?って聞かれると、

 

「オット氏が単身赴任中でね」

 

というのは、私の生活の大きな変化でもあるし、それに伴い今後の住まいをどうするか検討中という話題は、オット氏の個人情報でもあるけれども、同時に私のこれからの最大関心事。

 

誰かれ構わず話してないし、特に大切な友だちに、最近どう?と聞かれて、この状況を共有しないことにはいろんな話の説明もつかず、脳裏でチラつくオット氏を恐れて、事実を伏せておくというのも、なんだか水くさいわけで。

 

でも、アスペルガーには、この「水くさい」という感覚がないのかもしれない。

 

逆の立場だったら、大切な友だちがもうすぐいなくなるかもしれないことを知っていれば、それだけ一回一回を大切に過ごそうと思うし、不要不急が一転して、なんとしても会えるうちに会っておこう、となるんだけど。

 

それを伝えると、誕生日のロジックと同じで、

 

「遠く離れるとわかってないと、大切にできないの?それってどうなの?」

 

いや…、その部分だけ切り取って聞いたらごもっともなんだけども、でも全体ひっくるめて腑に落ちないー!

 

私が腑に落ちないのと同じレベル感で、向こうも腑に落ちてないんだろうな。

 

そんなこんなで、平行線とすれ違いをねじれの曲線の中で繰り返している私たちなのです。

 

正直、疲れた…