カサンドラが読む聖書:コロサイ人への手紙1:5~9
カサンドラ症候群の代名詞ともいえるマインドは、「ワタシが全部悪いんだ」と思うこと。
だからといって何かを直そう、やめようと試みたところで、なにも解決しないので(だって、ワタシが悪いんとちゃうしな)、いつしか自暴自棄になってさらに病んでしまうようになるんだけど、そんなマインドの故、オットのことをキライと言えるまでにも時間がかかった。
キライなんて言ってはいけない。
ややこしいけど、ワタシがなんとかできるポジションにいるのかも…。
そんなワタシは、今や晴れてオットへの感情を素直に認めることができました。
キライ。ワタシを傷つけるから。ワタシを見下すから。ワタシを認めようとしないから。
そんなワタシとは真逆のコロサイ人とやらは、すべての人に愛を抱いているらしい。
どうしてそんなことができたのか。
コロサイ人への手紙1章
5:それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。
ほうほう。この「愛」は天に蓄えられている望みに由来するらしい。
ワタシも天に望みを蓄えている。時には望みすぎて、もういっそ今、天に行きたいとすら思うほどに。死も罪も涙も憎しみも何もないところ。すべてが聖く、すべてが平安で、傷も痛みも癒されている天。私もこの望みのことを、真理のことばによって聞きましたけど。
6:この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。
ワタシの中で、果たしてこの福音は実を結び成長しているんだろうか。。
全ての人を愛するって、愛しにくい人も含めてすべてでしょ。
しかもその相手は自分を攻撃してきても、ってことでしょ。
その右の頬をぶたれたら左も向ける精神、私も別にそれが絶対無理です!っていうタイプではないんだけど、オットにだけは怒りがあふれてくるんだよね。
9:こういうわけで、私たちもそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。
パウロは祈ってたらしい。コロサイの人々が神のみこころについての知識に満たされるようにと。
神のみこころとは。深いなぁ。結婚するとき、これがみこころかどうかなんてどうしてわかるんだろうかと思ってた。聖書のどこかを読んで「この人と結婚しなさい」なんて書いてないし、逆にそんなわかりやすく書いてたら、信仰なんていらないし。
神のみこころとは、永遠に主と共に住まうことと書かれている箇所もあるけど、じゃあ、離婚はみこころなのか、そうじゃないのか、とか、この場合はありなのか、でもあの場合はなしなのか、とか。一辺倒ではいかないよね。単なる知恵や理解力ではわからないんだろうな。