Adventures in Ville

生まれも育ちも奈良県民なワタシが、東京という大都会のど真ん中でいろいろ出くわす冒険記です。

カサンドラが読む聖書:コロサイ人への手紙1:1~4

4年ほど前に自分がカサンドラ症候群であると気づくまで、ワタシは理由のわからず本気で死にたいと思ってた。

全ての悪の根源は自分で、自分さえいなければすべてがうまくいくのだとも。

 

そこから不思議と急にオット氏の転勤が決まり、引っ越しを見送った朝、ドアが閉まって洗濯物を干しながら、数年ぶりに無意識に鼻歌を歌ってた。そんな自分発見から4年の中でもいろいろなフェーズがあり、

 

【1~2年目】※オット氏単身赴任中

ただただ解放。「自分は悪くなかったんだ」期

 

【3年目~つい数日前まで】※この間オット氏帰還したり単身赴任したり

「ワタシっていうかオマエ(オット氏)が悪かったんやんけ」期

 

【4年目、つまりなう】※オット氏単身赴任中

「ちょっと考えを改めてみよう」期

 

カサンドラの回復方法としてよくネットや本に記されているのは、とにかく身を離すこと。家庭内別居、本格的な別居、離婚。私の場合は、それこそ神様の取り計らいなんじゃないかと思うくらいギリギリのタイミングで単身赴任という形で別居して、一命をとりとめた感があった。

 

そこからぐるぐると「愛さなきゃ、でも愛せない」→「っていうか、愛するとか無理やし」→「え、マジなんなん!?(怒)」と最終着地地点には常に怒りがあり、それがもう無意識にオーラとして出てるらしい。オット氏のいる日といない日の私の電話の声が違う、と母が気づいて心配してくれた。

 

つい数日まで、離婚するために経済力をつけたくて転職活動をしていたけど、なんかちょっと立ち止まって、一回聖書を開いてみようと思えるようになったのは、人生で初めてオット氏に出会ったのが、9年前の今日だったからなんだろうか。

 

と、前置きが長くなったけど、なんせ私は国内に1%にも満たないといわれる、毎週日曜に教会に集い、聖書を心から信じるクリスチャン(←くどいか)なので、やっぱ聖書、読むしかないやろ。

 

そんなわけで、今日は、コロサイ人への手紙1章。

 

これは、超アンチクリスチャンだった人が改宗してバリバリ福音を宣べ伝える働きをした使徒パウロっていう人が、同じく使徒のテモテと共にコロサイの人たちに書いた手紙だそうな。

 

1:3 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。

1:4 キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。

 

…ぎくり。yes,yes. ワタシは本当に人が好きで、この人キライ!って思うような人はほんとびっくりするくらい思い当たらない。…一人を除いては。

 

コロサイの人たちは愛にあふれていたのかもしれないけど、ワタシは愛せない人がいる。一番愛したい相手のはずなのに、まさかの自分自身の片割れを愛せないでいる。でも、こう言えるようになっただけでも私の中ではかなり大きいんだけどね。

 

前は「嫌いになっちゃいけない」「そしてなぜか嫌いになれない」のマインドコントロールがすごかったから、それががんじがらめになって私を苦しめていた。

 

専門家の人も、「まだ、相手のことがキライって言えないんだね。そしたらもうちょっとかかるね。」とおっしゃっていた。そこからするとすでに回復しているのかもしれない。今はちょっと振れ幅がすごいからこれから要調整です。

 

次回は(いつになるかわからんけど)、コロサイの人が愛にあふれていたその理由を深読みしてみよう。