Adventures in Ville

生まれも育ちも奈良県民なワタシが、東京という大都会のど真ん中でいろいろ出くわす冒険記です。

DV相談をしてみた件

これはもはや季節もんなのかもしれないが、毎年GWというのは私にとって非常にしんどい。体調が、ということではなく精神的にしんどい。

 

長い休みだからなのか、いつも以上にオット氏と関わる時間が長いからなのか、だいたいオット氏はGW中は非常にぞんざいな扱いをしていて、過去3年にわたり、私や両親に対して、無視または必要以上のことは話さない、目も合わさない、したい放題する、という失礼な態度で、今年もなかなかのものだった。

 

帰宅時の「おかえり」にまず無反応な時点で、このGWは辛いものになりそうだと予想はしていたし、覚悟して臨んだものの、私もこの季節は精神的に弱りがちなのか、終盤は片頭痛に便秘、睡眠までもしづらくなってきたし、気持ちが不安定でふとした時に隠れてぽろぽろ涙が出るほどに。

 

これはいかんと、これまでもたびたびいろいろ聞いてもらっていたお友達に連絡して、今非常につらいということを話したところ、そのお友達は、もはやこれは人権問題だよ、DV相談のいいところがあるみたいだから相談してみたら、と提案された。

 

DV相談…

 

これって、DVなのか?いや、発達障害ゆえに人の気持ちがわからなくてどうしようもないという話ではなかったのか。私が理解を示して忍耐深く待てばいいという話ではなかったのか。いや、それ7年やってきましたやん。そして状況は悪化する一方で、忍耐というか我慢というか、そんなものもだんだん限界に達しているのは私の体が一番わかっているやん。

 

別に暴力を振るわれるわけでもないし、DVっていう言葉をなんとなく認めたくなくてこれまでやってきたものの、DVの中にも精神的、経済的DVというものがあり、特徴や状況をいろいろ調べてみたところ、残念ながらほぼ当てはまっていた。

 

そうか…。私はDVを受けていたのか。。

 

そう思い始めると、発達障害があろうとなかろうと、妻に対して、いやもはや人に対して、こんな扱いをするなんて、許されるはずがないという憤りが芽生えてきて、発達障害だろうがなんだろうがどうでもよくなった。

 

そもそも、発達障害なんて、人それぞれ少なからず発達の上で凸凹はあるわけで、私だって、計算や見通しを立てて行動することが非常にへたくそで、きっとそういう凸凹を持っているけど、それを知ったうえで、その苦手を克服すべく、仕事上での工夫やちょっとした心がけでそれをカバーできるように努めてきているんだから、その凸凹をあるがままに生きることで他人に迷惑をかけてしまうのは、社会にとっても損害に他ならない。

 

そんな思いの中、早速その相談所にメールで問い合わせ、理事長さんと電話面談にこぎつけた。

 

理事長さんいはく、相談に来られる妻の8割が、「夫には発達障害がある」と話すそう。

 

いや、ほんま、そうでもしないと全然腑に落ちないもんね。でも今の私は、それで腑に落ちたフェーズはもう終わっていて、「それがあったらほな何してもええんかい!」とツッコミながら生きている。

 

そんな私に理事長さんはこう続けた。

 

「でもね、私、そういう方々の夫のほとんどは発達障害ではないと思うの。なぜなら、そのようにおっしゃる男性もどんどん変わっていくのを見ているから、発達障害だったら変わらないと思うのよ」

 

おぉ。断言するのね。すごいな。

でも、もはや発達障害があろうがなかろうが、変わる努力をするかしないかの決断だと思い始めていた私にとっては、まぁそうですよね、と軽く流して、話を聞き続けた。

 

ワタシの独特なエピソードを聞き、理事長さんはひるむどころか、もはやそれほどまでに顕著に大変なケースの方々こそ、夫婦セミナーに出てほしい、とおっしゃった。

 

…。夫婦セミナー。それな。

 

うすうす勘づいてはいたけど、これって、私一人が困ったところで、私だけが変わろうと努力したところで、相手はそのままであったなら、まぁ多少の心の持ちようやワタシからの言葉のかけ方くらいは変わったとしても、根本的には解決しないんだろうな、とは思っていた。

 

いや、でもさ、夫婦で改善しなきゃと思えてる時点で8割問題解決してるんじゃないですか。

 

率直に聞いてみた。おっしゃるとおりとばかりに、「みなさんそれで苦労されるので、こんな風に誘ってみたらどうですか。こんな切り口もありますよ」といろいろアドバイスをくれた。

 

人の意見を聞かないオット氏が、しかもお金のかかるセミナーを受講することに賛同するとは思えない。むしろ、この関係性に困っているのだろうか。改善しようという気持ちがあるのだろうか。

 

いや、ないのであれば、もう終わりにしよう。我慢するのはもうやめよう。

 

でも最後の最後に残った気持ちとしては、「改善された前例がいくつもあるのであれば、このチャンスに一か八か賭けてみてもいいのかもしれない」という思い。

 

改善は不要、という態度で来られたら、もう離婚しても全然いいと思える精神状態になっているし、改善が必要と答えてくれたら、あとはその流れに乗ってみて、向き合ってみて、その奇跡とやらを味わえるかもしれない道を選んでみるのも悪くない。

 

とはいえ、いつどのように話すかで、答えは180度違ってくることもあるわけで。そして何を隠そう今は、無視されるか、非難を浴びせられるかという状況なので、非常に誘うにはバッドタイミング。当たって砕ける覚悟が私にできているのか。こうご期待。自分に。