Adventures in Ville

生まれも育ちも奈良県民なワタシが、東京という大都会のど真ん中でいろいろ出くわす冒険記です。

【経済的孤独を抱えるカサンドラ】その①

ちょいちょいカサンドラネタではない記事を書こうとするも、やはりどうしてもネタに尽きないカサンドラ

 

今、一番納得していないことを、頭の中でまとめるべく、そして、打開策を見出すべく、書きしたためることにします。

 

それは、お金。結局めぐりめぐってこの問題は、どこの家庭にも出てくるものかもしれないけれど、AS&カサンドラ夫婦には、より一層深刻な問題の1つではないかと。

 

というのも、ASエピソードを持つ人は、特定の事柄にこだわりが顕著に現れるため、例えばゲームやおもちゃに没頭する人は、お給料のほとんどをそこにつぎ込んで経済的に大変だったり、お金の管理ができないが故に、ギャンブルにハマって散財しちゃったりするそうな。

 

それはそれで、うゎ〜…大変そう…ておもてましたけど、ふと鏡を見ると、自分も結構な感じでみんなから引かれる系のようです。

 

我が家の場合は、お金そのものにこだわりがあるようです。厳密には「お金をためる」という事が、重要関心事なのでしょう。

 

昨今の共働き夫婦のお財布事情は、ひと昔とは違い、お互いの給料や貯金額は知らない家庭もよくあるようだし、ウチもそのタイプといえばそのタイプなんだけど。

 

でも、そうは言っても、「家族」なんだから、家族のために日々の必要な経費は、共有のお財布から支出して、そこから家族のために必要な何かのために積み立てたり、時々お楽しみを作ったりするのを理想としていたので、結婚してすぐ、新しく口座を作った私は、いつかそれを共有の財布とするべく、管理しようとしていました。

 

が、そもそも結婚当初もオット氏の荷物の移動ができていなかった事もあり、まずは落ち着いて一緒に暮らせるのはいつなのかな、というところから、住民票を移すまでにも相当時間がかかり。

 

そうこうしている間に、私が賃貸の世帯主(←これは私の職場は住宅手当が出るということで納得の上だけど)となり、いつか共通の財布を持つことを理由に私の新規口座から家賃のみならず駐車場代、水道光熱費NHK放送受信料といったいわゆる固定費が出て行く事と相成りました。

 

気づけば、非営利団体で働く私のお給料なんて、多分オット氏の半分以下であろう(←未だに給料知らんので、あくまで予想ですが)ところから、固定費のみならず、日常の生活費をもちろん出ていくわけで、育休の時なんぞは、給料がそこから3分の1に減って、その上、出産のお祝い返しやら、赤ちゃんのためにいろいろ必要になってくると、結婚前に貯めていざという時に使うはずだった微々たる貯金にまで手を出す始末。「いざ」、…はよ迎えすぎやろ!

 

当時の私はまだまだ、絶賛カサンドラだったので、いつか合算してくれるのかしら、いや、むしろ私の給料で全てをまかない、オット氏の給料を全て貯蓄に回せたら、安定的に貯蓄ができるのではないか、などと考えて納得しようとしていたのです。

 

そして、オット氏も、全くお金を出さないわけではなく、年に1度くらいの頻度で、「お金ない」を連呼してみると、ふいに何も言わずに分厚い封筒が目の前にポーンと置かれ、見ると50万くらい札束が。

 

昭和か。

 

はたまたサラ金かいな。

 

それに、以前の記事でも書いたけど、母より母、主婦より主婦になることがこだわりの1つでもあるので、調理器具は許可なく勝手に私が買うことは相当の覚悟が必要なほどいちゃもんつけられ、オット氏がどこぞからセール品を買ってくるし、食材や洗剤なども、足りないと「感じた」ものは率先して買ってきてくれる。

 

※必要だと「感じた」ものを買ってくるので、本当に必要なものとは限らず、一時期、パン屋開くんか!?いうくらい小麦粉が6袋家に転がってる事もあったり、おつとめ品であれば、特に欲していなくとも、それを買う必要性を「感じ」てしまうので、我が家は何年も使われないまま虚しくおつとめ品シールが輝く品々であふれてゆくのです…

 

と、お金を1円も出さないわけではなく(←ドラマで高利貸しが金貸す時みたいな渡し方な!)、また日々何かしらのお肉や野菜など(←おつとめ品のやつな!)を買ってくるし、合算したいと言っても、「あなたの老後資金を貯めているのです。よかったね。バラ色の老後」と言われてしまうと、「充分お役目果たしてもらってる」というマインドコントロールに陥っていたのです。

 

でも、今年の5月に私の中では何かがガラガラと崩れた時、ある人から言われたのは、

 

「そんだけ貯めててもなぁ、老後ほんまに必要になったとしても、絶対出してもらえへんで!なんならあんたの方がストレス溜まって病気になってはよ死ぬのがオチやわ」

 

と。そうか。なかなか過激な口ぶりだけれども、的を射ている。お金を貯める事がすきなひとは、そこから減る事は苦痛で仕方がないんだから、いざとなったら出してくれるであろう「いざ」なんて、一生来ないかもしれない。

 

むしろ、もう無理、となってそれぞれの道を歩むことになった場合、貯金のない私は、親権さえも手放すことになるかもしれない…。

 

その現実から、お金貯めなきゃ→いや、でも明らか貯まらんやん、という負のサイクルに悶々とした結果、もう一度話し合ってみることにしたわけで。

 

それはまた、つづきのはなし。