お受験してみたハナシ
ウチのムスコ氏、あっという間に年長で、来年は小学生。
地元の小学校もモデル校になっているくらいなので、質も悪くないと聞いているし、なんせ保育園の友達のほとんどがそこに行くので、本人もそこにいく気満々なのだが。
夏から関西勤務になり、終わりが見えない出向ということで、たまたま調べてみた私の母校の国立小学校が、ちょうどこれから来年度の小学生を募集しているということで、教育の質的にはとてもよいのはわかっているし、きっとムスコ氏にも合ってるんじゃないかとも思い、オット氏に相談。
意外に二つ返事でいいんじゃない?となったので、受けてみた。
いわゆるお受験なんだけど、事前の面接もなければもちろん忖度もなし。ザ・くじ引きなのです。
私も補欠の1番で受かった身としては、当たる時は当たるし、当たらない時は当たらない。でも、願書を出さなければ絶対当たらないので、どちらになってもよしと思って願書を出してみる。
抽選当日、受験した30人のうち、空き要員の18名が合格することに。つまり、5人中3人が合格する確率ということで、五分五分よりちょっと確率高いくらい。
抽選も厳選にするべく、事前に30までの数字プラス10の計40までの数字が小さな封筒に入っていて、そこから1人ずつくじを引き、最後に副校長先生がくじを引き、その数字から18人が合格という仕組み。
また、数字が偏らないように、1、11、21、31は、事前に取り置いておき、全員がくじを引き終え副校長先生がくじを引く段階で追加投入するという徹底ぶり。
1人ずつくじを引く時、呼ばれてるなと感じたくじがあったので、それを取ってみた。39番。ふむふむ。
全員が引き終えて、数字が張り出され、いよいよ副校長先生がくじを引くタイミングに。
緊張の瞬間、発表された数字は31番。
安定の7番目で合格でした。ギリギリでもジャストでもなく、安定の合格。
この受験に合格したらこの学校に通うもんだと思い込んでいたワタシは、ホッとしたような、なんとなくそんな気がしてたような、でもやっぱりひと安心だった。
が、その数時間後、オット氏的には、合格=この学校に通うというわけではなかったことを知り…。今までのドキドキや安心はなんだったんだろう。
しいて言うなら、数多くある選択肢が狭まらなかっただけで、まだまだ選択の日々は続くのである…。
そうだった。アスペルガーさんは決められないのだ。大きい決断は特に。
さらにその夜聞かされた最新情報では、出向中のオット氏は、来年1月から東京に帰ってくるそうな。
なんなんだ、この、こっちおいでおいでとホイホイ進んでいったらゴール手前ででっかい落とし穴に落とされた気分は。
なんのための受験だったんだろう。なんのためのドキドキだったんだろう。せっかく入れると思ったこの期待感はどうしたらいいんだろう。
保育園の友達と離れ離れになることを認識して、悲しみにくれたムスコ氏の涙は。
それでも取り繕って、関西在住のじぃじばぁばに三つ指ついて、
「嬉しいご報告があります。」
と合格報告した5歳児の健気なハートをなんだと思ってるんだろう。
こんなことできるなんて、やっぱりどこか他の星にすむ宇宙人にちがいない。
誕生日を祝われたくない利用者さん
ウチの利用者さん(a.k.a. オット氏)は、誕生日を祝われるのが嫌い。
そして、人にバラされるのも嫌い。
サプライズ誕生日パーティーなんて企画しようもんなら、空気は最強に凍りついて、その場にいる全員を後悔という名のどん底に追いやることになるでしょう。
定型の私にはそれがほんとによくわからない。
でも、「アスペルガー 誕生日」とかで検索すると、実は同じような悩みを持つパートナー(大抵女性)は少なくない。
その辺りの関連性を知らなかったかつての私は、大勢のいるところで、
「○○さん(←オット氏)のお誕生日はいつ?」
と聞かれてうっかり伝え、そのことがバレてブチギレされ、2週間くらい無視されたこともある。
私にとって誕生日はいくつになっても嬉しいもの。祝われて不快に思ったことなんて、一度もない。
だから、そうではない人の思考回路が分からず、腑に落ちてないから、何回か挑戦して撃沈する。
なぜそんなに嫌がるのか、何度も聞いた。そして、私の理解が正しければ、その理由はだいたいこんな感じ↓
・誕生日という1年のたった1日だけを祝福するなんてナンセンス。ほんとにその人のことを想うなら365日祝福するべき。
↑いや、それがなかなかできないからせめて誕生日だけでも…と言った日にゃ、
「そんなんで愛だの友情だの語ってんじゃねえよ」とバッサリ。うーん…そうなのか!?
・だいたいそんなに仲良くもない人からただただ誕生日を知ったが故に祝わられる筋合いはない
↑別に私は通りすがりの人や、たまたまレストランで居合わせた赤の他人からでもおめでとう!って言われたらなんだか
ほっこりしますけど?え?せえへん?あれも不快なん!?
まぁ、そんなこんなで、時々「もうそろそろ心入れ替わったかな」とか思って試したところで、ここのこだわりが消える事はまず有り得ないことを身をもって体験したので、誕生日は100歩譲って祝わないことにした。あえて普通の日を取り繕うのです。
でも、どうやら同じ感覚で、自分の近況や生活の変化などを近しい友人にも明かすのも、極端に嫌う。
最近どう?って聞かれると、
「オット氏が単身赴任中でね」
というのは、私の生活の大きな変化でもあるし、それに伴い今後の住まいをどうするか検討中という話題は、オット氏の個人情報でもあるけれども、同時に私のこれからの最大関心事。
誰かれ構わず話してないし、特に大切な友だちに、最近どう?と聞かれて、この状況を共有しないことにはいろんな話の説明もつかず、脳裏でチラつくオット氏を恐れて、事実を伏せておくというのも、なんだか水くさいわけで。
でも、アスペルガーには、この「水くさい」という感覚がないのかもしれない。
逆の立場だったら、大切な友だちがもうすぐいなくなるかもしれないことを知っていれば、それだけ一回一回を大切に過ごそうと思うし、不要不急が一転して、なんとしても会えるうちに会っておこう、となるんだけど。
それを伝えると、誕生日のロジックと同じで、
「遠く離れるとわかってないと、大切にできないの?それってどうなの?」
いや…、その部分だけ切り取って聞いたらごもっともなんだけども、でも全体ひっくるめて腑に落ちないー!
私が腑に落ちないのと同じレベル感で、向こうも腑に落ちてないんだろうな。
そんなこんなで、平行線とすれ違いをねじれの曲線の中で繰り返している私たちなのです。
正直、疲れた…
離婚したくてもできないカサンドラ
アスペルガー症候群のパートナーを持つ伴侶がやり場のない生きづらさを感じて精神的に苦しんでいるなら、その人はカサンドラ症候群かもしれない。
我が家のオット氏は、ザ・アスペルガーではないけど、時々世間を騒がせる変わった人程度でとどまり、IQもきっと高いので仕事は確実にこなすため、社会的には優位な立場を常にキープしてきたけれど、家庭内では最強に家族を困らせている。
生まれ持った性質もあるだろうけど、それに相まって育った環境が家族を大切にしない感じのため(お義父さんもお義母さんもすごーくいい方たちなのでワタシ的には何故?って感じだけど)、家族を大切にする人のという部分がココロの中から欠如しているみたい。
家族の事となるとことごとく予想に反した考えをふっかけてくるので、そこそこヒトの気持ちを汲めるほうだと自負しているワタシでも、
「え!?そんなアイディア浮かぶん?なんで?どうしたらそうなるん??」
なことばかり。
今回もそう。
コロナの影響で、GWもお盆も帰省できておらず、ようやく用事と絡めて半年以上ぶりに帰省できることになり、久しぶりに孫に会えるのを楽しみにしている両親を顧みず、帰省中はオット氏のアパート(→注:オット氏はワタシの実家近くに単身赴任中)で寝泊りしないことがわかった途端、ココロに鉄壁を築いて他人扱いしてかかる。
分かってる。その前にきっかけがあったことも。
あれは6月のこと。オット氏の単身赴任が決まり、何度か下準備で出張した際、ワタシの実家に近いから寄ろうとしたけど、実家が断った。
この頃は、まだ地方のコロナ状況もよろしくなく、感染者数が減らない東京からの来訪は、たとえワタシであっても断られていたところだったし、ましてや、今年の春先から原因不明の体調不良で起き上がるのもやっとだった母を知っている以上、ワタシ的には断って当然と思えた。
…けど、オット氏には違った。
拒まれたと感じたんだな、ヤツは。
そうは言ってなかったけど、顔でわかった。本人も気づいてないかもしれない心の奥底で、「なにくそ」と呟くのがワタシには聞こえた。
オット氏は、家族を大切にするココロが欠如しているにもかかわらず、変なところで自分はこの家のムスコなんだから、大切にしろ感を全面に出してくる。
ワタシと結婚する前、老人ホームに入っている祖母をワタシと訪ねようとして家族に止められた時も同じ。
プライドの高い祖母は、変わり果てた自分の姿を、たとえ孫の婚約者であろうが見せたくないと言ったし、祖母を知る者はそう言うだろうことを容易に想像できたので、ワタシだけで行くように話を進めたのが気に食わなかったらしい。
いよいよ祖母も最期の時か、というところで、会いに行こうと誘ったら、
「自分は行かない。ムスコと思われていない。傷ついた」
などと言ってワタシ達を困らせて、その場を収めるため&ワタシをこれ以上困らせないために、両親はオット氏に土下座をした。
その頃カサンドラ真っ只中だったワタシは、自分のことしか考えられず、間に挟まれてただただ泣いていたけど、今思い出して、改めて腹立ってしゃあない。
こちらの思いを汲み取ることもなく勝手に傷ついて、そんなこと思ってもないと話しても受け入れず、挙げ句の果てに、ワタシの大切な両親に土下座をさせるなんて。
あの光景が、またフラッシュバックするのは、今回も同じようなココロの行き違いが見え隠れしているから。
これまでは、オット氏一人でも突然ワタシの実家を訪ねて驚かせたこともあるし、ワタシが実家に帰れず悲しんでいるさなか、自慢するように帰省して楽しそうな写真送りつけてきたこともあるけど、今回はコロナも体調もあるし、迎え入れられないらしいからよろしくね、と話したのに。
ココロのどこかで、
「ムスメと孫がいたら迎え入れるんかい」
と思っているに違いない。自分は拒まれたと思うことに決めているに違いない。
そして、そうじゃないと話しても、きっとそれは通じない。
また土下座させるようなら、その時はマジでもう離婚したい。
でも、きっとそういう話も、やれ親権とか、養育費とか、ものすごーーくもめるんだろうな。
最終的にワタシが疲れて病んだ挙句、全てを諦めるまでものすごーーくしつこいんだろうな。
そして、ワタシにはお金がない。だってお金は別々に管理してる=日々の生活を回すのはワタシなので、ワタシの働いたお金はワタシの口座なら使っていると、貯金なんてそれほどできないわけで。
あーーーー。どっかの大富豪に見初められたいーーーーーー。(…ほんで、最後やっぱりなんの叫び💦)
怒りをどこにぶつけていいのかわからない時
先日の汗疱、皮膚科のステロイドで1週間後、ほぼ枯れて完治まであと少しと思った今週、またまたぶり返してしまい、痒みの故にめちゃめちゃイライラしてます。
こんなに普段平和主義なワタシが、ここまで小さいことで怒り狂うとは…。痒みは人の本性をさらけ出させます。
雨の日の朝、レインコート でがっつり対策を取った上で朝保育園に送るときの必死さ満開の時。
→なんでワタシばっかりフルで働き、フルで家のこともせなあかんねん!父親、なに悠長に単身赴任生活満喫しとんねん。
先月末で人が一人減ったにもかかわらず、今月初めにもう一人いたスタッフが夏季休暇で1週間以上不在に。
→いや、そらほかに取るタイミングがなかったのはわかる。けど、これを許可する上長は何を見とんねん!
お昼。近くのテイクアウトで割高のランチセットを買って帰ってきたらサイドのフォカッチャついてへんやんけ。
→フォカッチャなくてもお腹いっぱいになったし、糖質制限できてよかったけど、せめて割高分の200円くらい返して!
今まで使えてはいたんだけど、実は重大なエラーを抱えていたPC。
→初期化しないも復旧不可能とか、どういうこと!?
帰り道、ゲリラ豪雨にドンピシャ当たり、一人水浸しで保育園にお迎えにいくことに…。
→天気にさえも見放された気持ち。
でもよく考えたら、母子家庭になるならこういうことを普通と捉えられるようにならねばならぬのか…。
うわー、無理ー。ワタシそんなに強くないし。
物理的にそこにいてくれなくても、
「大丈夫?大変だったね。気をつけて」とかいうケアが欲しいし、むしろそれがあれば全然苦じゃない。
誰かが知っててくれるだけでいい。別に、手伝えなくてごめんね、とかいう詫びが欲しいわけでもない。しんどかったね、がんばったね、と言われたいのは、欲しがりすぎなんやろうか。
ウチのオット氏、もとい利用者さんは、スーパータフ人間なので、多分前述のひとつひとつも、
「は?なにがそんなに大変?」
て呆れるだけだろうし、むしろそんなんで弱音吐いてる人間が目の前にいることに絶望するくらいだと思われる。
だから、彼にいてほしいわけじゃない。
誰か!!「頑張ってるね」「今日もお疲れ様」って頭ポンポンしてほしい〜〜〜〜!!(←最後の最後でなんの叫びw)
汗疱(主婦湿疹)が最強にかゆい話
もともと小さい頃アトピー性皮膚炎だったこともあり、肌はあまり強いほうではなく、疲れたり、強い洗剤を使ったりするとあかぎれになっていたワタシ。
…なのに!なのに、なのに。
なぜか今年の春から手の調子が良かったので、それまで欠かさずゴム手袋をして洗い物をしていたのに、体質が改善されたと勘違いして素手で洗うようになって1ヶ月ほどした頃、それは突然やってきた…。
はじめは、右手の手のひらの小指の下の方にポツっとひとつ、小さな水ぶくれができた。
今まで手の甲専門だった(←なんの専門や)ため、こんな柔らかくて分厚いところに珍しいなぁ〜、と少し様子を見ていたら、数日後、あれ?同じ手の指の間もプツプツした水疱出てきた?
そうそう、こういうプツプツ、指の腹に複数できて、ドロ痒い(←母がしょっちゅう使う表現。ここしか聞いたことない)し、かきむしると更に痒くて潰れてなんかトロっとした汁出て…。表現きもいけど、そんな辛さは経験済みだった。
今回もそういう系かな、と遅ればせながらにワセリンで保湿を試みる。
2日目。あれ。なんか小さいプツプツが集結して大きいぷっくりした水ぶくれになってる。今までこんなことにはならんかったのに?そしてかゆい…
3日目。おいおい。ぷっくり系が増えてるやん。そして見るからにちょっとやば目になってきたぞ…。これは、家にあるフルコートとワセリンで乗り切れるレベルじゃねぇ。
4日目。満を持して皮膚科へ。あー。土曜に行ってりゃよかった。やはり、汗疱のようで、汗がうまく出せていないそうな。今年は暑さが尋常ではなく、汗も大量に出てるそうな。
ステロイドと保湿剤、水疱が潰れた場合の乾燥させる亜鉛?の薬をもらい、仕事に行くも、薬塗ってからもまだなお増え続ける巨大な水疱たち。
そしてなんせかゆい。
イライラが募るほどかゆい。
夜中も目が覚めるほどかゆい。
そして5日目。朝3時からかゆくて眠れずやむなく起床。
手芸ビーズサイズの小さな水疱が、何故か今回はお隣同士、めちゃめちゃ気が合うのか、次々あっという間に集結してしまい、大きさも小指の爪ほどの大きさに膨れ上がり、はちきれんばかりにパンパン。これ…潰したらあかんのかな。
中でも特大級のパンパンマンを、コンロで赤くなるまで焼いた針でエイッ。痛みは全くなく突き通った針を抜くと、水風船から水がピューっと出る勢いで、中の水が出てくる、出てくる。ちょっと面白くなって、ほかのパンパンマンもプスプス刺しては消毒→亜鉛の軟膏で乾燥させる、を繰り返す。
数分繰り返した気づいたこと。
あれ?なんか、最初に萎んだはずの水風船、またパンパン…。
思いの外、出待ちの汗は大量のよう、かつ特大級のパンパンマンも元は10個以上のビーズ状水疱の集まりなので、完全に萎ませるには全てのビーズをアタックする必要あり!?
一瞬にしてパンパンマンが復活するので、チクチク攻撃はあえなく終了。
この日もかゆみと耐えながら仕事をしつつ、「明日も眠れんかったら絶対また皮膚科行ったるねん」と心に決めて就寝。
朝。あれ?眠れた?てか、寝過ぎた?むしろ寝坊やし!
テレワークをいいことに、朝はゆっくり過ごして、ようやくかゆみが収まりつつある現実にただただ感謝。
ほんま、かゆみは痛みより辛い。
日に日にかゆみもおさまり、あんなにパンパンサイクルを繰り返していた水疱も、ステロイドのおかげで枯れてきた。
…。そう。まさしく「枯れてる」。これはもはや枯れすぎてお婆ちゃんの手。
肌の新陳代謝のプロセスをまざまざと見せられている感じで、おもしろいけど不気味な手。接客業じゃなくてよかったー。
誰も見たくないと思うけど、でも、もしかすると今まさに同じ症状でかゆみと闘っている人がいたら、それでもきっと治るという希望がわくかもしれないので、パンパンマン全盛期の頃はあまりにもグロテスクなので、アフターの枯れた今の写真公開。
↑どんなにハンドクリームのパッケージ風のポージングにしても、枯れすぎて汚いなう。
バリウムに勝利を収めたハナシ -後編-
バリウム初年度は、見事惨敗となり、迎えた2年目。
今年は、二の舞は踏まないと固く誓い、その対策として、そもそも便秘状態で臨む事に敗因を見出したワタシは、その年は検査の数週間前から酸化マグネシウムを服用し、便通を整えた。
おかげで、検便も全く問題なく提出でき、今年は余裕かのように見えた…が、しかし!
直前の予期せぬ残業と、若干自暴自棄になるくらいの業務の厳しさに、半ばヤケを起こして(←え!?あえてココで!?)、健康診断前夜の9時少し前に、こってりしたおかずを食してしまった。
一晩眠れば次の日には消化されて、空腹が戻ってくるかと思いきや、前代未聞の消化不良。
朝から吐きそうになりながら、検査に臨む。
既に負け戦となるのはわかっていたけど、お医者さんは容赦なく、また炭酸の粉と水を強要してくる。
リアルにえづきながら、バリウムは8割くらいで許してもらったが、検査中に無残な言葉を浴びせられる。
「あら。昨日夜遅くに何か食べたのが残ってて、これじゃあちょっと検査しても意味ないわー」
なんと!ただただ検査のためだけに苦しい思いをしてバリウムを摂取して、また苦しい思いして排泄しないといけないのに、その検査自体が意味がないとは…。
意気消沈して検査を終えるも、頭はもう、いかにこの無駄に体内に取り込まれてしまったバリウムを出すかという問題でいっぱい。
1年目にすっと出なかったのが、2年目は結構すっと出たみたいだけど、そんなすぐに戦いが終わるとは思わず、2日目くらいに病院で別のお薬を処方してもらい、1週間くらい不安なまま、気づけば残留軍を撤収させるべく戦いは収束していた。
そして、いよいよ今年。3回目のチャレンジ。
もう、出来るだけ戦いたくないんだけどなぁ〜。
はぁ。ワタシの前にこの検査を終えたあのおじさん。普段は家族の間でも、若干居場所がなさげな小太りな感じだけど、今のワタシには、バリウム検査後、というだけで、勇者にしか見えず、人知れず尊敬の眼差しを送ってしまう。
去年えづきながら飲んだバリウム。
そして、それ以前に苦しい炭酸パウダー。
無心になって飲んでみる。
…?お?意外にいける?
消化不良を起こしていないだけで、こんなになんとかなるの!?
飲み干して、台の上でくるくる回り、難なく終了。
今回も数日かかったものの、なんとか出て行ってくれた。ワタシの腸は長いんかな。なかなか出口にたどり着いてくれないんかな。
そんなことを考えながら、初めてバリウムに勝利を得た気がした。
でも、今年度でこの職場を退職するから、来年はうまいこと転職できてなかったら、健康診断自体、受けないかも知れない!?
バリウムに勝利を収めたハナシ -前編-
ワタシの職場の健康診断は、35歳からバリウム検査が始まる。
振り返ると、あの2年前の夏から戦いは始まっていた…
バリウムと言えば、不味くて苦痛を覚えながら摂取しなければいけないのに、用を終えるとできるだけ早く体外に排血しなければならないという、健康管理上やむを得ないとはいえ、非常に不毛なストレスを人間に与えるやつ。
最初の年は、
「でも、ひと昔前より味は良くなったとも聞いているし、所詮、口に入れるものなんだから、前日の夜から何も食べずに臨めば、空腹こそ最高のスパイスとなってくれるのでは?」
という淡い期待を持っていた。
そして、惨敗した。
ひと口。
あれ?コンクリート飲まされてる?
っていうか、バリウムを採り入れる前に飲む、炭酸の粉と水こそが、最初の関門って、はじめに言うといてよー。
空っぽの胃は飛び上がるほどびっくりしてるのに、ゲップをしてはいけないという脅威に怯えながら、上から更にはコンクリートが流し込まれるなんて、まさに地獄絵図やし。
コップ半分でおえー。
でも、真面目な性格ゆえ、無理をしてでも飲み切って、その後の検査も無事終了。
ただ、検査以前の恐怖は、もともと便秘がちってこと。
なんなら、検査前から検便もかなり無理があるほどに。
多めに下剤をもらうも、その日は音沙汰なし。
次の日。
出たけど、あれ?白いって聞いてたけど?普通やん。
→つまりそれまで停滞していた残留軍が撤退しただけってこと。
次の日。少し白いのが現れ始めるも、量的には全然追いついてない。
怖くなって
「バリウム 出ない 3日」
とかって調べると、日本中に同じ戦いに挑んでいる人が結構いることを知って、若干安堵する。
4日目にもなると、更には困った事が!
それは、お腹の中に滞在し過ぎたバリウム隊は、腸で水分を吸収され過ぎて、より出にくくなる上に、出てもまさにコンクリート状態でトイレの水勢では押し流されてくれない。
「バリウム 流れない」
で検索し、またまた孤独から少し解き放たれたのち、他の勇者達が試した術に倣い、バケツの水を同時に流し入れること数回。なんとか流れた。
が、その年の検査結果で要精密検査となり、その2ヶ月後、大腸検査で更に辛い体験をすることになったのは、また別の話。
※その後、小さなポリープが見つかる程度で済んでよかったんだけども。